私の前立腺がんとのお付き合い記録 from Novenber 16th, 2017 (時系列)
(反時系列)


【がんの発覚】2014年5月、おしっこの出方が悪いので梅田のクリニックに行った。
       2週間後に行くと採血した結果ですごいことになっていた。
       「浜嶋さん、PSAの値が313になっています。すぐに大きな病院に行ってください」
       私は、会社の産業医に紹介してもらって、大阪医療センターに出かけた。
       「先生、寿命はどれくらいですか」と聞いた。
       答えは、「後2年だね」と言われた。

【経   緯】まず、検査をしてから、ホルモン治療を始めた。効果はすぐに出て、一時は、PSAが
       0.076まで下がった。
       しかし、少しずつ値は上昇し、薬を変えながら治療を進めた。
       2016年10月には、ついに抗がん剤治療に移った。これは、PSAが10前後で横ばい
       であったが、2017年8月には、2番目の抗がん剤に変更した。それも5カ月で徐々に上
       昇する状況が続いた。
       そこで、最後のホルモン治療を11月から始めた。
       抗がん剤の影響は、髪が抜けること以外に、体力を弱めた。3月には背中が痛くなり、整骨
       院に5カ月通った。
       しかし、抗がん剤を変更するとけろっと治ってしまった。
       さらに、歩くのが辛いほどであった。8月に親子ハイキングの下見に箕面の森に行った。
       380段の階段は足が動かなくなり、100段ずつ休憩させてもらった。登りきると問題な
       かった。
       がんが体に直接影響を及ぼさないことで、不安は無かったが、ついに転移が始まった。
 
【2017年11月】
・11日 午前3時、下腹が痛い。この場所は前立腺か。朝になって痛みが治まった。

・12日 午前9時、倉庫の竹を薪にする作業を、下村さんと吉田さんと行った。
    その後で銀輪亭へ。午後から千里中央にある東丘小学校で交通安全教室の手伝いを行う。
    川越さんと山内さんがやってきた。山内さんから、「今日は遠いから参加しなくてもいいよ」と言
    われる。
    悩んだ末、欠席させてもらった。その代わり、銀輪亭倶楽部のHPを更新した。
    痛みは、断続的だった。それにあまり気にならなかった。

・13日 ネットで痛みの場所を確認した。やっぱり何か変だ。病院に行く方がいいが、15日に検査の予定が
    ある。

・14日 朝、寝返りを打つと激痛が一瞬走った。「やばいなあ」。明日まで我慢。

・15日 病院で、いつものように「どうですか」と聞かれた。
    「調子がいいですよ。歩くのが前のように早くなりました。抗がん剤の影響が弱まってきました。
    でも、ここが痛むんです」
    先生は、難しい名前を口にしながら、10月に撮影したCT画像を出した。
    「つまり、転移しているんですか」
    「転移の可能性があるということだ。あまり気にならないなら様子を見よう」
    採血の結果は、「悪くなる度合いは小さくなった。このままホルモン剤を続けます」
    私は、「PSAの値が下がる可能性がありますか」と聞いた。
    先生は、「可能性はある」とにこやかに答えた。少し明るい気持ちになった。
    つぎの検診は、デュープリンとランマークの注射をするので、29日に決まった。PSAも調べ
    ることになった。

・16日 朝から患部が痛んだ。それより26日のBVS隊の隊集会 中山寺奥の院のハイキングに初めて
    の体験者が参加するのでどうしても行きたかった。箕面の森の下見で380段の階段を登るのに
    足が上がらなく迷惑を掛けた。奥の院は3回登ったことがあるが、心配だった。計画書の所要時
    間内で登れるかを確認しに8時半から家を出た。
    最初がきつかった。止めようと思った。でも10丁目の展望台までは行こうと考えた。4丁目を
    過ぎると楽になった。
    30分の予定を33分かかった。7分休憩後27分で奥の院に到着した。ぎりぎりセーフと判断
    し、隊長にメールを送った。
    家に帰ると患部は痛んでいなかった。ひとまず安心。

・18日 当初、余命2年と言われたときの気持ちの整理
    後2年間しか生きれない状況になった時、比較的早く気持を切り替えた。
    半年ぐらい前に潜入捜査官の映画「土竜の唄」を見ていた。
    そこに、「覚悟を決めれば恐くない」という唄があった。
    2年間の命を受け入れ、もう気にしない。楽しく生きることに気持を切り替えた。
    体に何の影響も感じていない健康そのものの状態で、判断力はしっかりしていた。
    今、あれから3年半経っている。医師は、しっかり治療を続けていたら命は続くという考え方をし
    ていた。
    PSAは、78まで上昇している。若干上昇率が低下しているようにみえるので、29日の検診結
    果に期待を持っている。
    子供達には、常に「後2年間」だと思っておいてほしいと言ってある。
    覚悟を維持していけば、日々楽しい生活が続けられる。先が見えても動揺しない気持を強くしてい
    きたい。

・29日 【検診日:腎臓が痛い】
    午前1時。左脇後ろに痛みを感じた。
    30分間、のたうちまわるほどの痛さ。痛み止め薬をもらっていることを思い出し、1錠飲んだ。
    やがて3時半には楽になり、5時まで寝た。
    今日はがんの検診の日だった。7時に家を出ないといけない。とても歩いていけないと思ったり、
    緊急入院もあるかなと思い、入院の準備をした。
    加納さんに家の鍵を預け、入院の時には荷物を持ってきてもらうことにした。
    痛みは、30%ぐらいに和らいでいたが、歩くと痛んだ。
    PSAは、89まで上がっていた。100までは、ホルモン剤を続けるという。体調は良かった
    が、朝の事を話した。
    原因は、リンパの拡大が尿管を圧迫し、腎臓の中で腫れているという診断だった。痛み止めをし
    っかりもらい自宅療養となった。痛さを我慢しないで痛み止めを飲んでもいいと聞いた。
    しかし、行きたい場所があった。寺田町のスカウト会館へ行き、スカウト祭のMVPグッズを購
    入する予定だった。谷町4丁目で「あかん、とても歩けない」と思い、家に帰ることにした。
    13時、梅田で昼食をとり、痛み止めを飲んだ。それでも豊中から自宅に帰るには辛かった。
    加納さんの家に寄り、奥さんに説明。少し楽になって家に戻った。2時半になると、「痛くない」。
    全然痛くなかった。
    19時から大学の同窓会幹事会に参加できるかが問題だった。朝家を出る前にメールで連絡、結
    果が分かって11時ごろに連絡。「無理しないで」とメールを皆から貰っていたが、痛くなけれ
    ば問題無いと考えた。
    15時に大丈夫かもと連絡していた。17時半になり、薬の効き目が切れてきた。よし、ご飯を
    食べて薬を飲めば、19時ごろには痛くなくなるはずだ。
    18時前に薬を飲み、メールで参加することを伝えて、出かけた。歩くのは辛かったが、うまく
    電車に座れた。
    そのあとは、問題なかった。23時30分。就寝前の薬を飲んで寝た。

・5日 体重は73kgに戻ってきた。今日は検診日。大きな痛みは出なかったが、朝晩、寝返りをうつ
    と前立腺あたりの左側が痛む。
    どういう結果になっているだろうか。
    弟の信之が名古屋から来てくれる、13時に待ち合わせ。医学部の教授だが、そんなに難しい話
    は無いだろうと思っている。でも、ややこしいことを解説してもらうことになっている。雪が降
    るので帰りの時間が心配だ。4時に名古屋に着かないといけないのだ。

 
【2017年12月】
・1日 昨日の朝から痛み止めを飲んでいない。痛みは出ていない。ひと安心だ。

・2日 昼過ぎに下腹が痛んだ。腎臓とは異なる。とりあえず薬を飲んで、14時〜17時まで寝ていた。そ
    れで痛みは治まった。

・5日 朝から調子がいいなあと思った。しかし、突然、14時にお腹が痛みだした。今までと異なる場
    所。徐々に横腹が痛くなっていった。転移してもそこがすぐに痛むはずがない。加納さんに連絡
    しようかと思ったり、子供達に連絡しようかと思った。
    14時40分に痛み止めカロナール錠を1錠飲んだ。延べ6錠目。少し楽になったが、又痛みだ
    した。
    16時22分に前にもらっていたロキソプロフェン錠60mgを飲んだ。声が出るほど痛い。も
    う駄目じゃないかと思ったり、こんなことでまだ終わらないと思った。
    16時40分。記録を書くことにした。痛みは少しましになった気がする。
    もしものことを考えて、緊急連絡先などの情報を子供達に送った。


・6日 昨日は、夕食後にカロナール錠を飲んでから痛みは出ていない。20時30分に寝て今日は5時
    から活動開始。薬の効用が薄れても痛みが出てこないのは何だか変だなと思う。寝る前に飲む薬
    を飲んでいないから痛みが出てきてもおかしくない。痛みがあるかどうかわからないのに薬を飲
    み続けるのは、現状が分からないから嫌だ。痛みで苦しむのは仕方がないし、痛まない場合はう
    れしい。

・8日 昨日の21時に腹が痛みだした。すぐにカロナール錠を飲んだ。5分も立たないうちに痛みは消
    えた。15時間過ぎても痛みは無い。8錠を使用した。しかし、ちょっと頻繁に痛むのが問題だ。

・10日 昨晩は、調子がなんとなく優れない。宴会する気持ちはあったけど、体がついていかなかった。
    20時に就寝。よく寝られた。それほど悪かったのか。
    今日は入団説明会で、12時に帰ってきた。いくつか資料を作ってから14時ごろに昼寝をした。
    起きたら、朝だと勘違い。
    5時の目覚ましは鳴らなかったなあ。薬を飲んで、そのまま寝続けて、6時に起きた。外は暗い。
    朝と同じだ。朝食を食べた・・・つもりだった。6時44分、吐き気がした。1回だけで治まっ
    た。またベッドに横になった。
        ところが、朝じゃなくて夕方ということが7時半に分かった。目覚ましもならなかったわけだ。
    ラジオも自動でONにならなかった。テレビで「ダーウィンが来た」をやっている。なんで朝から
    やっているのかと電子時計を見たら、まだ12時間前の10日だった。ショック。
    メールやら電話やらあって、11時にやっと寝た。   
    体力は確実に落ちている。

・16日 具合がよかったわけではない。14日から痛み止めを飲んでいた。今日の朝になり、痛み止めを飲
    んでいるのに脇が痛くなった。猛烈な痛み。これで強い薬を飲むことにした。痛みは治まり、昼
    食後は通常の薬を飲み続けた。夜まで快適だ。痛みが無ければ、こんなに違った気分になるのか。
 
・17日 0時にまた痛んだ。ロキソプロフェン錠60mgを飲んで1時まで痛みは取れなかった。
    朝は、清掃奉仕。栗ヶ丘会館に行ったが、何もできず見ているだけ。防災備品の受け取りは、谷
    岡さんとともに白崎副長が替わりに行ってくれることになった。10時半から銀輪亭倶楽部の理
    事会に参加し、引き続いて行われる忘年会は辞退して、家に帰る。昼食を食べてから横になった。
    夕方まで寝続けた。18時に起きたが、食欲、気力、体力がない。焼きうどんを3分の1残した。
    食欲がないのはやばいなあ。喉が渇く、脱水症に気を付けてこまめに水を飲む。22時に寝る。

・18日 朝まで鈍痛があった。痛み止めはカロナール錠を毎回飲んでいた。2時間半周期でトイレに行く。
    これはおしっこがしっかり出るから仕方がない。朝の体重は71.8kg。73kgが通常の体
    重であるが、最近、これぐらいまでは苦労せずに下がる。夕ご飯の量が少ないのが原因。
    食欲はない。パンにとろけるチーズを乗せて焼く。ポタージュスープと、とまとを一つ。何とか
    食べた。
    7時から横になり、わろてんかを見るために起きた。何か食べないといけない。好きなカンパン
    を食べることにした。結構食べられる。水を飲みながら食べた。
    また、横になったかが、8時45分ごろに元気が出てきた。そこで、パソコンでこれを書いてい
    る。痛みが治まっている。痛くなければ元気はつらつだ。

・19日 3時に痛みだした。すぐにロキソプロフェン錠60mgを飲んで痛みは大したことにならなかっ
    た。夜の団委員会は大丈夫だろう。薬は残り3錠。来週の診察までもたないな。カロナール錠に
    期待するしかない。6時の体重は、71.4kg。少し減少している。

・23日 4日半順調だった。しかし、懇親会でお酒を飲んことが関係したのか。帰ってから午後9時に痛
    みだした。8時にカロナール錠を飲んだばかりなので、躊躇したら徐々に悪くなり始めた。たま
    らずにロキソプロフェン錠60mgを飲んだ。痛いと声を出しながらのたうち回った。なかなか
    治まらない。12時ごろまでかかっただろうか。13時にトイレに起きた時に、4つ目のカロナ
    ール錠を飲んだ。ロキソプロフェン錠60mgは4つ残っている。水曜日の検診(CT撮影)まで
    は、持ちそうだ。

・27日 【検診日】
    今日まで順調だ。でも、病院の検診で、かなり悪化していた。PSAは160まで跳ね上がって
    いた。薬は効かなかった。別の女性ホルモンに気晴らしに変更した。問題は、対応できる薬が無
    くなったことだ。今後は緩和治療になるという。家族に来てほしいと言われたが、状況を話して
    難しいと応えた。次回は1月5日に詳しく話をしてもらうことになった。
    家に帰り、姉と弟たちに連絡した。信之は、名古屋大学医学部大学院の教授で、すぐに5日に病
    院に来てくれることが決まった。姉も一度会いに来ることになった。和之はなんでもするから言
    ってほしいと言った。息子と娘には説明すると、2月に休暇を取って二人揃って病院に行くと言
    ってくれた。
    ボーイスカウトは、育成会長に話をして、30日に緊急会議を開くことになった。

・28日 昼前に気分が悪くなった。薬の影響だ。昼ご飯が食べられない。ベッドで休んでいた。12時に
    宅配便が来た。頭がふらふらしてまともに歩けなかった。何とか荷物を受け取り、また寝た。1
    7時ごろ目覚めたが、夕方か朝霞の区別が分からなかった。18時に外に出ることを思い出した。
    行き先は近所だ。18時に行くことにしていたが、18時30分になった。
    それから少しパン食べ、牛乳で流し込んだ。

・29日 今日は孫が来る。新大阪で荷物を受取り、二人は神戸に行って夕方家に来る。重い荷物だった。
    ぎりぎり新大阪発のバスに乗れた。バスで良かった。
    その後、気分は良かった。宅配便の再配達を依頼すると、14時の時間帯の最初に来てくれたの
    で時間的に大いに助かった。それから、銀行とボーイスカウトの倉庫に段ボールのゴミを取りに
    行った。帰りに銀輪亭で1時間半話し込み、代表理事に状況を説明した。3日の松尾大社初詣サ
    イクリングには、予定通り参加することを伝えた。銀輪亭を7時45分発え松尾大社に11時着
    だ。私は、代表理事の車に乗せてもらい、現地に駐車場から松尾大社まで10分程度走るだけだ。


・30日 夜寝てから痛みを感じた。もう痛むのかと心配だったが、それほど痛まずに治まった。よかった。

【2018年1月】

・1日 特に変化は無い。しかし、細かいことを言うと前立腺部分の左側が朝だけ痛いと感じる。
    孫と京都まで初詣に出かけた。帰って凧上げもした。

・3日 今日は、銀輪亭倶楽部の松尾大社初詣サイクリングに参加した。と言っても、銀輪亭から嵐山の
    「蕎麦祥」まで出口さんの伴走車に同乗し、「蕎麦祥」の駐車場から松尾大社まで自転車に乗っ
    た。昼食後、そのまま豊中に戻った。8時出発で16時30分帰宅だった。
    そのあとは、加納さんの家で新年会。越乃寒梅を1合程度飲んだ。帰ると、年末年始の期間で体
    重は72kgから75kgに上がっていた。

・4日 朝4時ごろ脇が痛んだが、大したことにはならなかった。

・5日 【検針日】
    体重は73kgに戻ってきた。今日は検診日。大きな痛みは出なかったが、朝晩、寝返りをうつ
    と前立腺あたりの左側が痛む。
    どういう結果になっているだろうか。
    弟の信之が名古屋から来てくれる、13時に待ち合わせ。医学部の教授だが、そんなに難しい話
    は無いだろうと思っている。でも、ややこしいことを解説してもらうことになっている。雪が降
    るので帰りの時間が心配だ。4時に名古屋に着かないといけないのだ。

    さて、結果は、データ的に、12月27日にPSAが167だったが、今回は112に下がって
    いた。素直にうれしかった。医師もうれしいと言ってくれた。しかし、病状とPSAの値は乖離
    する場合があるとのこと。CTでリンパの縮小が見られれば喜んでいいが今回はそのデータは無
    い。真に喜べる状況ではない。体の中は着実に進行していると見るべきだ。
    当面、女性ホルモンの薬を服用することとし、2〜3週間単位でPSAを計測し様子をみること
    になった。抗がん剤治療を繰り返すことも選択肢にあるが、体への影響もあるので今後の状況で
    判断することにしている。治験として新薬の適応も大阪大学に情報提供の依頼を行っている。
    信之は、名刺を出して素性を説明した。そのため、医師から詳細な治療経緯の説明があった。ま
    た、痛みの原因や今後は長くは続かないこと、そして、左側の腎臓が使用不可になっても右側で
    対応する処置について賛同した。リンパや肝臓への転移の可能性についても骨シンチの画像とC
    Tの画像を見せて、現在の転移状況について説明がなされた。その結果、先進医療の処置が行わ
    れていることを確認できた。
    今回の主目的は、今後の病状の変化への対応を聞くことだ。すべての対応薬を使いきり、今後は
    緩和治療に移る。その結果、2種類の対応が考えられる。
    1つ目は、急激な痛みにより入院すること。少しでも痛くなれば病院に来るよう念を押された。
    痛み止めの処置あるいは痛み止め薬を強くする対処方法である。これを繰り返す。最終的には麻
    薬も使用する。痛み止めに麻薬を使用することは問題ない。そして、最悪な状態になれば、最後
    まで病院が入院でお世話をしてくれる。痛みが無ければ、誰の世話にもならずに従来の生活はで
    きる。
    2つ目は、日常生活ができない状態になれば、施設に入ることになる、施設の紹介のお世話もし
    てくれる。こちらで情報を入すするのは構わないが、しなくても病診連携で世話をしてくれる。

・8日 体は問題なし。
    やる気が少し減少しているかな。ボーイスカウトの継続登録の手続きを始めた。登録メンバーの
    確認のため、団名簿を指導者に送った。入隊者の入団願書が7日に提出されなかったが、名前だ
    け記入しておいた。2月末まで気をもむ時間を過ごすにことになるだろうな。ストレスが体に悪
    いと思う。登録費を払わない団員は、登録をしないことにする。
    お酒は、3日に1合飲んだだけだが、飲まないことが体にいいのではないかなと思うようになっ
    た。26日の結果が良ければそうかもしれない。お酒を飲まない日々はつまらないけど、しかた
    がない。
    それよりも、日中もっと充実した時間の過ごし方をしないといけないと反省している。明日、考
    えよう。
 
・14日 大阪連盟の危機管理セミナーに参加する予定だった。着替えて7時半にはスタンバイしたが、ち
    ょっと力を出したあとで、気持が悪くなった。テーブルに伏せてしまう状況。ベッドに寝ると起
    き上がる気力がなかった。特別悪いということではないが、動けない。
    しかたがないので、大阪連盟に欠席の電話をしたが、今日はお休みということで電話がつながら
    ない。谷岡委員長に連絡して伝言してもらうことにした。
    1時間ほど寝ていたが、家でじっとしていた。

・18日 特に問題はない。下腹が痛い感じがするが支障は無い。
    15日に自転車で買い物に行ったが、今日は歩いて買い物に行ってきた。往きは40分で、帰りは
    45分だった。いい運動になったかな。

・23日 夜ベッドの入ってから、なんか下腹当たりがもやっと痛くなった。体が気持ち悪い。じっとして
    いられなくなって、起きた方がいいと思い、服を着替えた。そのままパソコンで資料を作りなが
    ら治まるのを待った。気にならなくなり、4時まで団委員会の資料を作成した。それから7時に
    起きて薬を飲み、もう一度寝てから7時半に起きた。
    その後は、普通に戻った。まだ痛くなるには時期が早いんじゃないかなと思う。26日の検査は
    PSAが下がる期待と、さらに病状が進行しているのではないかと2つの思いがある。

・26日 今日の検査結果は、PSAが112から106に下がった。下がり出すことは、薬の変更により
    起きうる減少で、病状が良い方向に向かっているとは考えにくい。それほど長く続かないと言わ
    れた。しばらくは気が休まるが、次回からは上がりだすだろうと覚悟している。
    体に痛みは生じていない。1月5日から常時痛み止めを服用している。痛み止め薬のレベルアッ
    プが起き出せば、いよいよということになるので緩やかに進んでほしいと祈るばかりである。
    左足にむくみが起きている。リンパの影響と言われた。こういうことも病状の進行が進んでいる
    証拠であろう。
    体調の調子はまずまずよい。20日の団会議、夜の地区新年会、21日終日の国際活動セミナー、23
    日夜の団委員会には参加できた。今日の夜は千里中央コラボで開催される危機管理セミナーに参
    加する。

・28日 風呂から上がると左足のむくみが大きいと感じた。左右を比較すると今までで一番むくんでいる。
    15日ぐらいから始まったが、治まらない。これはリンパが大きくなったことによる影響だ。い
    ろいろな障害が始まったなという印象だ。ここで気になったのは、3月3日からのスキー訓練で
    スキー靴が履けないということだ。スキーは無理かもしれない。指導者不足でスキーを滑れない
    のは指導体制を変えないといけないかもしれない。困った。

【2018年2月】
・4日 最近痛みはないです。むくみが気になる。リンパの影響は仕方がないが、体を動かすことを心掛
    けている。今日は、大阪連盟の「未来への集い」で歴史博物館まで出かける。総務委員の手伝い
    で12時に行く。
    そういえば、1日に仕事の打ち合わせを梅田で行った。このときは、日本酒を1.5合飲んだ。
    特に問題はなかった。少し早く酔った感じがした。

・16日 特に痛みはなく時間は経過した。
    今日は3週間ぶりの検診である。
    PSAの結果は、242であった。112から106になり、急激に上がった。106の時点で
    はすでに上昇に転じていたという予測は当たった。
    今後は、PSAの評価は、それほど一喜一憂すべきものでない。体調の変化を見て判断するとい
    う方針が告げられた。
    前立腺自体は、それほど悪いわけではない。骨への転移もないことは確認されている。リンパ節
    の肥大による腎臓への影響がある。肝臓にも転移の可能性がある影が見られている。腎臓は左側
    に影響が出ており、右側は正常である。右側が正常であれば問題ないので、左側の腎臓の手当て
    はあえてしない方針となった。
    緩和治療は、痛み止めの薬の段階がまだある。
    次回は4週間後と決まった。それまでに痛みがあれば病院へ行くことになる。
    今日は、前回に続いて弟と子供たち2名が参加した。詳しく話を聞いて理解してもらった。もう
    回復の可能性を願う考えはなくなったと思う。
    医師から、「残り時間は2年とか3年と言える状況ではない」と具体的な数字が説明された。私
    は、1年以内と思っているので、まだ2年あるかという気持ちだった。ちょっと余裕を感じた。
    もう一度冬を越せるのか。でも時間の経過は早い。1年はあっという間だ。やはり残り時間をい
    かに生きるかを考えてみたい。
    今日は、「親子で思い出の外食」をしようと提案し、帰宅後、再度梅田に出かけた。静かな雰囲
    気のある場所で、食事をし、かつてよく行った亀ずしにはしごした。その帰りもタクシーに乗っ
    て帰ってきた。いい思い出になったと思う。

・17日 子供たちは一泊した。彼らは朝ご飯無しで10時半まで寝ていた。私は、8時半からボーイスカ
    ウトの作業をすべて終えた。後で気づいたが団会議の計画書を確認することを忘れていて、娘が
    東京に帰ってから始めた。娘は早く帰る予定であったが、吉本新喜劇を見始めると面白いから少
    し遅らせることになった。さらにオリンピックのフィギュアスケートの最終ラウンドを見て遅れ
    た。3人でテレビを見て笑い、羽生弓弦の金メダルに感動したことも思い出になるだろう。

・22日 今日は、スキーの資料を作成して、乗鞍青年交流の家に送らないといけない。昨日は団委員会の
    報告作りで疲れてしまい、今日に持ち越した。8時半に意を決して嫌々作成しだした。これが昼
    までかかった。運動量を増やすために、歩くつもりだったが時間が無くなり、11時半になって
    連絡し、吉田さんとガーデンで昼ご飯を食べた。2時半まで長居し、夕方は、大阪に仕事に出か
    けた。先週は、体調不良につき、私の方から断ったので、さすが今日も休むわけにはいかなかっ
    た。外を歩くのがきつくなってきている。梅田から南森町まで、30分は歩いていたが、ついに
    地下鉄に乗ってしまった。いつも終わると居酒屋で飲むなかまだが、たこ焼きとお好み焼きを食
    べることにした。今日からはお酒は飲めないということで、19時から20時30分まで、彼は
    ビールを飲んだ。ここのいいところは静かに話ができることだなあとまんざら悪い気がしなかっ
    た。

・23日 今日もボーイスカウトの継続登録の団審査資料を作成した。25日の団審査で提出する。登録費が
    数人未納の状態で見切り発車で資料を提出することを団委員会に確認済みである。いつも納入が
    遅い家族は決まっている。今年も20日までに完納は実現しなかった。
    パソコンのスピードが、14日から低速化している。昨日、仕事仲間に聞いたら、パソコンを新し
    くしたから、Windouwsのアップデートにデータ伝送量が増えたのではないかという意見だった。
    とにかく遅い。仕方がないのでお金を払ってでもと思ったが、パスワードがわからないので手続
    きができず、我慢することにしていた。昨日、22団から送ってもらったスキーの資料をダウンロ
    ードするのも待ちくたびれるほどだった。今日は、登録システムから加盟員登録データを出力す
    るのに、30分ほどパソコンが固まっている。何度もやり直しした。

・24日 朝、ベッドの中で右脇腹が痛んだ。体の向きを変えると痛くなる。新しい箇所の痛みは、ショッ
    クである。姿勢を変えれば痛まない。どこの臓器が痛むのだろうか。起き上がると痛まない。実
    は、19日にも同じことが起きたが、それほど気にしなかった。

・26日 右脇腹の痛み府が今日も出た。昨日の朝もあった。朝食後の痛み止めを飲むと痛みが和らいでい
    るのだろうか。日中はは痛まない。薬の効果が切れてきて痛みだしている。

【2018年3月】

・4日 スキーから帰った。スキーと言っても何もできなかった。きっと空気が薄かったんだろう。標高
    1500メートルの宿舎内では歩くことがしんどかった。階段は1段ずつ休みながら上った。できる
    だけ他の指導者に仕事を頼んだし、荷物を持ってもらった。
    2日に豊中人工広場に階段を上がった時に歩けなくなって30分休憩していた。それからだめだ。

・7日 少しは歩かないといけない。大門公園のグランドを一周してから加納さんの事務所に行った。奥
    さんに報告するためだ。
    夕方は駅まで歩いて買い物に行ったが、2回休憩した。帰りはバスで帰った。バス停が近くでよ
    かった。